辛っ。
この七味辛っ、そんで香りがすごい。
親しくさせて頂いている方からの京都のお土産。
京都東山の原了郭の黒七味で、開業元禄16年、「それって創業何年?」。
300年。。。位かな。。。たぶん。。。。
同じ事を続け、維持する事の難しさと忍耐力に、尊敬を感じ偉大さを感じる。
新しい事を常に追うことも大変な努力だけど、やはり信じたモノ・コトをやり続けるには、その節目節目で必ず障害があって、そこを乗切る大きなパワーが必要だと思う。
原了郭は、いくつの壁を乗切ったのだろう。
老舗という看板があるから安泰ではなく、そうなるには今も昔も常に戦い続けているんだと思う。
んじゃ、うどんでも茹でようかな。。。。

突然、高校時代の部活の友人から都内に遊びに来たとの電話で恵比寿で合流。
オイスターバーで牡蠣をたいらげ、その後立ち飲みやで、飲み直し。
卒業してからも、もう10年以上たっていて、お互いいい年になった訳だけど、あの頃の記憶と話題は劣化せず、いつも高校時代の話で数時間話せてしまう。
ホント辛くて辛くて仕方ない3年間だったのだけど、若い頃のそういった経験の必要性は、社会に出て数年たってやっとわかってくるというか。。。
甲子園に行けなかった悔しさは、今は仕事に置き換えられていて、結局ずーと何かを追いかけているのかな。。。。

ベンチつながりで、もう一つ。
ある海での一枚。
誰が何の為に置いたのかはわからないけどオフィス用の椅子。
まるでここの住人のように一年中、雨の日も風の日も彼はここにいる。。。。

ベンチのある空間ってのは、なんか良い。
それは、そこに「人」が留まる空間だからだと思う。
例え、今そこに誰も座っていないとしても、なんか体温を感じる。
特に無造作に置かれた外部空間はいい。
個人の物だけど、誰でも座れる半公共的というか、曖昧な空間はベスト。
それは、建築家やプロダクトデザイナーがデザインした美しくかっこいい椅子という事はどうでも良くて、ボロかろうが汚かろうが、腰がかけられればいい。
そこに誰でも座れて、少ししたら別の人が座って。
つまり、主が広い心で提供してくれていて、遠慮なく誰でも座れる感じってのがいい。
昔は商店街などにも、店の主が勝手に置いたベンチがあったもの。
そこには、買い物袋を持ったおばちゃん達が座って、ずーと話し続けている。
これも町の風景で、立派な絵になる。
今は、お役所が設置した無機質なベンチがある程度で、極めて少ないし、そこに心は感じない。
昔住んでいたマンションの屋上に、使わなくなった僕のベンチベッドを運び、マンションの人達と花火を見ながら飲んだりしたことがある。そのまま、そのベンチはマンションの人達が自由に使う事になったが、1ヶ月で管理人に廃棄されてしまった。
人が留まる空間を作らないと不足がちなコミュニケーションは、生まれていかないのになーと最近思う。
風のない気候の良い日に気持ちよい山下のBLUE BLUEのベンチ。

今日は、身内の関係で急遽、長野に行く事に。
東京も朝から真冬の寒さだけど、やはり長野は寒い。
夕方には長野を出発し、さっと帰るつもりだったけど、佐久平あたりでまさかの積雪。
季節的にチェーンなんか積んでいるわけないので、仕方なく軽井沢インターで下り、一泊しようとするも、一般道の峠は高速道路以上の雪。
そうこうしている間に、高速道路もチェーン規制がかかり、その上、ガソリンも底をつきそう。
何もできない。
寒い。。。。。。。。。。。。。。。。
ここは、チェーン規制の係の人には申し訳ないが、強行突破で東京へ向うかけに。
時速30kmで走行し続け、およそ1時間。
ようやく、みぞれに変わりヘロヘロで帰宅。
なんで、この時期に雪降るの?
